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意地を張る素晴らしさ
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意地を張る、その素晴らしさがわかるだろうか?
自分よりも強大な相手に立ち向かうには、勇気が必要だ。
意地を張る事は、自分を通そうとする事であり、
自分の気持ちを大切にしている証拠である。
大方は、それを「ガキ」と呼ぶ。
そしてその逆を「オトナ」と呼ぶ。
そこで僕は、オトナというモノを滑稽に思う。
オトナとは、いったい何と戦うモノなのだろうか。
おそらく「何とも戦わないモノ」なのだろう。
そして戦う事を恐れる集団が、多数を背にし、
それを正当化する事で逃げようとしているわけだ。
そう考えていくと、オトナはもう何も喋らないでほしい、と思う。
強大なモノを表す存在は2種類であり、それは1種類でもある。
世間であり、自分である。
自分の意志を貫く邪魔をするのは世間。
その世間を恐れて自分を閉鎖させるのは、自分の心。
まずは、自分の心を制する事が必要なわけだが、
それにはそれなりの覚悟がいる。
そこで用いなければならないモノ、それは「優しさ」である。
自分にも、そして相手にも向けられる優しさが、
その気持ちを生み出す。
自分へ優しさを向けるのは簡単。
自分が納得できず、不満な気分を消したいと思えばそれは優しさ。
そして、身近な誰かが死んだとする(別に死んでなくても良い)、 その時「その誰かを背負って生きていこう」
と思う事が相手へ向けられた優しさである。
これは例の一つであって、優しさを示す事柄はいくつもある。
今までの経験上、自分以外の相手を背負っていれば、
自分の事をますます大事にするだろう。
そして、自分の事を大事にする = 自分を通す に繋がる。
自分が背負った相手を守らなければならないという事は、
自分が意見を言えなければ、背負った相手は何の意味も無い。
存在を際だたせる為には、その形を表に出さなければいけない。
つまり、その人を刻んだ自分の心をそのままに生きていく、
それが相手を大事にしている証になる。
自分を通す事が、
大切な人を守る事だと気づかず、ただ生きていく事だけに必死な人は、
何の価値も持たない。
ただ意地を張るだけなら、相手を背負う必要は無いが、
ここへ来て重要な事は「優しい人が意地を張る」という事になる。
意地を張れる人は、自らを輝かせる為に必死なのだから、それだけで素晴らしい。
さらに、自分と相手の絆の為に意地を張るなんて、
もっと素晴らしい。
常に最上級の素晴らしさを求めて生きていきたいモノだ。
1 (意地を張れないオトナという存在は、自分以外のモノを自分の快楽の為に利用する餓鬼である)
2 (相手を背負える人間は命の尊さを知っているからこそ、それを大事にする)
3 (相手を背負う事で、自分に課せられた使命を大きく捉え、それで自分を追い込み、引かない勇気に変える)
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