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炎に抱かれた哲なる老人
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老人はある女に狂っていた。
どこにでもいる18歳の女だったが、65歳の彼には眩しかった。
若さを何度も経験した彼だが、古すぎるその感触はすでに無いものと同じ。
二人は年の差がありながらも付き合っている。
彼は無い金を引っ張り出し、女に尽くした。
外を二人で歩く楽しみ。
仲間の老人に自慢する楽しみ。
楽しみはいっぱいあった。
若く、その力で自由の幅を広げる彼女を、
自分の近くに置いておける。
それだけで、自分もその自由の中で生きている気持ちになれる。
彼は若返った心を、とにかく幸せに感じていた。
しかし、毎日を新鮮な気持ちで生活していたその時、
その女が、自分の知り合いの老人とも付き合っていた事実が発覚した。
自慢をする為に紹介した事で、その女とその老人が知り合い、そうなったのである。
先の老人は女を責める事はせず、自分の家へ呼び出したその男ばかりを責めた。
そして話では済まず、取っ組み合いの喧嘩へ発展。
可笑しそうに様を見つめる女の前で、興奮しすぎた先の老人が心臓を押さえて倒れた。
女と男は、救急車を呼ぶことはせず、暴れた証拠を隠蔽するよう、家に火をつける。
とどめを刺されなかった為、彼にはまだ少し時間が残されていた。
意識が遠のく老人を炎の影が包み込んでいく。
老人は蒸されながら、死を認められずにいた。
「オレの人生はなんだったんだ?
中学を出てすぐ、漁師として50年生きてきた。
結婚はせず、子供もいない。
楽しみは仕事後の酒と、競艇だけ。
刺激の無い生活も慣れれば心地が良かった。
毎日がその繰り返しの中、寂しいと薄っすら感じながら寝て起きて・・・
もし、妻と子がいればこの年齢になったオレの心は今と違ったものになっていたんだろうか?
そもそも、死が近づいた時、それを自然に受け入れるなんて事が人間にはできるんだろうか?
広い地球の中で、誰からも価値ある存在として認められず、
必死に、まだ生きたい、と悶えているオレは、地球が太陽に照らされ始めた時、
いや、それよりもずっと昔から決まっていたんだろう。
こうなることは、ずっと昔から決まっていたんだ。
しかし、決まっていたからと言って、この足りない想いをどう納得しろと言うんだ・・・?
この前、こんなテレビ番組を見た、きっとその時はクダラナイと思っていたんだろう。
『缶ジュースを買い、飲みきれないまま地面に落とし、こぼれてしまえば残念な気持ちになる。
しかし、飲みきったあとでその缶がどうなろうと、ほとんど問題としない。
人間の心と体と同じである。
自分が持っているそれ特有の味がついた発想、意志を外に出さずして、
また、出した中身がその目的地へ到達できずして、
そのような無念を抱えたまま体を放る事ができるはずがない』
その時は、何が何なのかがわからなかったが、
出した中身が、理想の場所へ辿り着いていたら、きっと今の気持ちは変わっていただろう。
結婚や子供なんてのは関係なく、自分の味がついた中身がどこへ行くかが問題だったんだ。
そしてそれを繰り返し、出し切った時、死は恐怖でもなんでもなく、
満足な自分の経験と共にどこへでも行けたはずだ。
ただ生活をし、考える前に動き、また指示され動いて、
一度も缶の栓をひねった事すら無かったこれまでのオレ。
今まで人間らしい事を一つもしてこなかったが、
ココへ来てようやく人間らしい考えを持つ事ができた。
でも今更どうする事もできない、
早く気づけば気づくほど良かったんだろうな・・・」
老人は炎に包まれ、そんな事を考えていた。
あの時、
「人間が本当に成功するには、その考えを10代のうちに持つ事」
老人がテレビを切ったあと、そう告げられていた・・・
消防隊員が火を消し、老人の遺体を目にした時は、
表情がまったくわからないような状態にまで焼けていが、
老人が死の直前、寂しさの中で少し笑っていた事は、
彼を抱いた炎しか知らない・・・
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